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洛東の紅葉を訪ねて
平成20年11月15日(土)

古文化同好会11月は<洛東の紅葉を訪ねて>を企画
平成20年11月15日(土)京都ならおまかせ吉岡さん引率で18名が参加
紅葉真っ盛りの京都の穴場を散策!
京阪電鉄枚方市駅→出町柳→叡山電鉄一乗寺→一乗寺下り松→金福寺
→八大神社→西浦公園(昼食)→曼殊院(拝観)→鷺森神社→出町柳
駅→(解散)


 天台宗 曼殊院門跡で記念撮影(高尾さんの名機CANONで)


一乗寺下り松
京福電鉄「一乗寺駅」を下車東山方面へ10分位歩いた所に宮本武蔵ゆかりの「一乗寺下り松」がある。 宮本
武蔵は、慶長5(1600) 17歳の時、関が原の戦いで石田光成らが率いる西軍に加わったが西軍は敗れ、落ち武者と
なって諸国を遍歴しながら武道に励んだ江戸初期の剣豪。この武蔵、慶長9年(1605)京都の兵法家として名高い
吉岡一門に挑み、吉岡清十郎を蓮台野(現在は佛教大学の敷地内)の対戦で勝ち、更にその弟の伝七郎を三十三
間堂でも破った。吉岡道場は、一門の面目に賭けて17歳の吉岡源次郎を名目人とて、最後の一戦を挑んだ場所が、
この一乗寺下り松。武蔵は、この決闘では源次郎をはじめ70数名もの門弟を相手にしたが、勝利している。 
現在は住宅地の真ん中にあり、松も四代目。松の傍には『宮本・吉岡決闘之地』と刻した石碑が建っている        

一乗寺下り松の全景



金福寺
京都府京都市左京区一乗寺才形町20
金福寺(こんぷくじ)は、京都市左京区一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺である。山号は佛日山。本尊は聖観音
菩薩。詩仙堂の少し南にあるこの寺には与謝蕪村の墓所がある。庭園が美しく秋の紅葉シーズンは素晴らしい!
観光客もそう多くなく隠れた紅葉の名所として注目されている。しばしば当寺を訪ねた松尾芭蕉を偲んで与謝野
蕪村が再興した萱葺きの茶室や蕪村の墓がある。864年(貞観6年)安恵により創建された寺院であり、当初天台
宗であったが元禄年間(1688年〜1704年)に再興され臨済宗に改宗された。


蕪村が再興した茶室の前で





※参考 金福寺は舟橋聖一著「花の生涯」のヒロイン村山たか女所縁の寺院である。村山たか女は、彦根
藩城下の三味線師匠で、和歌を詠み、漢籍にも通じた才女でした。彦根藩士で国学者の長野主膳と、愛人関係
にありました。やがて彦根藩主井伊直弼が黒船渡来に始まる幕末の危機に幕府大老に起用されたのに伴い、長
野主膳は井伊直弼の懐刀となって活躍するようになりました。この風雲急を告げる幕末の時期に、たか女は、
長野主膳の意をうけて京都などで開国に反対する尊皇攘夷派の情報を収集する活動を行った。たか女の墓は、
この金福寺ではなく近くの圓光寺というお寺にあるそうです
たか女の位牌
三条の河原にはりつけられた
 


 天台宗 曼殊院門跡 
     天台宗 曼殊院門跡   京都市左京区一乗寺竹之内町4

曼殊院は、圓光寺から北へ徒歩10分ほどのところにある。圓光寺から北へ田園の細い道を歩き、一つ目のT字
路を右東へ、さらに進み2つ目のT字路も右へ折れる。武田薬品工業の薬草研究所が目印となる。緩やかな登り
坂を少し進むと曼殊院に至る。途中、こんもりとした森と鳥居があるが、曼殊院天満宮・弁天堂である。ここ
を過ぎると、最初に目に入るのが勅使門、石垣に白壁で、皇室と深い縁のある寺院らしい雰囲気を漂わせていた。
拝観入口は北にある通用門。曼殊院は、もとは比叡山に最澄が開いた東尾坊が始まり。天暦元年(947)、住持の
是算(ぜさん)国師が菅原氏の出であったことから、曼殊院の門主は代々、北野天満宮の別当を兼務 。明治の
初めまで続いていた。

曼殊院弁財天のお庭で
  
 天仁年間(1108〜10・平安後期)に名称が曼殊院と改められた。このあと、比叡山から御所の北側へ移り、文明
年間(1469〜87)から法親王を門主とする門跡(皇族・貴族などが出家して住持する特定の寺格の寺)寺院となり
竹内門跡と称した。そして、良尚(りょうしょう)法親王が門主となった明暦2年(1656)に現在の地に移転された
。良尚法親王は、桂離宮を造らせた八条宮智仁(としひと)親王の第二子であったことで、曼殊院の造営に当た
っては、庭園・建物ともに桂離宮の様式が採りいれられている。     
 
孔雀の間
小書院の富士の間

庫裡から大玄関へ入ると、狩野永徳筆の襖画のある虎の間、岸駒(がんく)筆の襖絵のある孔雀の間、そして竹
の間。長い廊下を進むと江戸時代初期の建築・大書院となり、各部屋の狩野探幽筆の障壁画や、仏間。大書院の
前の庭園は枯山水。白砂や石を組み合わせた鶴島と亀島とがある。 続いて、小書院でここも狩野探幽筆の障壁
画がみられる。見所の多い寺院である 。

大書院の樹齢400年の五葉松
小書院から見る鶴島

   
富士の間の左奥にある曼殊院棚。 
   
   ◇曼殊院門跡の所在地など
・住所: 京都市左京区一乗寺竹之内町42
・TEL:075−781−5010
・ 拝観時間:9:00〜17:00 (受付は16:30まで)

鷺森神社

祭神 素盞嗚尊 (スサノヲノミコト)
御神号鬚咫天王(しゅだ)
御神徳:家内安全・旅行安全・諸願成就

「由緒」神使の鷺がこの森に群集していたのが名前の謂われとされている。赤山禅院の側に鎮座していたが、
修学院離宮の建設にともない、現社地に遷座した。離宮造営にあたり霊元帝より現在の鷺の杜に社地を賜り、
元禄2年6月御遷座になり修学院、山端修学院一帯の産土神として今日に至っております。  境内は鬱蒼とし
た樹木に覆われ森厳たる佇まいを見せる。涸れ涸れではあるが一乗寺川の谷が南を境し、小径は曼珠院へと続
いている。神域六千六百坪、境内に流れる宮川にはその昔御水尾帝、霊元帝も行幸された御下賜の御幸橋もあ
り、荘厳な社殿とともに桜樹、楓も多く四期幽鳥の声を聞く鎮守の社であり、又、最近では森林浴や春の桜、
秋の紅葉の名所としても知られるようになってきました。

記念撮影「ハーイ!パチリ!」

※参考写真 神社参道の茶店が多く、春は桜が良いとか

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