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<黒塚古墳・長岳寺>を訪ねる
平成21年度 文化財パトロール

<池に映る長岳寺本堂が実に美しい>

山辺の道は、三輪からならへと通じる上古の道。東海道自然歩道に指定さ
れていて、延長26キロで古代の面影をよく残し、万葉びとの息づかいを
つたえている。古社寺、古墳、万葉歌碑と多彩な伝承の舞台などが展開し、
古代の幻想の世界へと誘ってくれる。
このたびは平田交野市文化財保護委員の引率で<黒塚古墳・長岳寺を訪ね
る>が企画され、好天の一日10名のパトロール委員が参加、交野市内の
文化財保護の知識習得の一助とすべく黒塚古墳・長岳寺の状況を視察した。
龍王山を望む山辺の道
黒塚古墳
和歌山線に乗換え柳本へ
閑散とした柳本駅前
黒塚古墳へ到着
前方後円墳の中程で
前方後円墳の中程で
後円部の竪穴式石室が発掘された場所
黒 塚 古 墳
古墳時代前期(3世紀後半から4世紀)の古墳と推定され、古墳規模は前兆132メ
ートルの前方後円墳です。
現在は柳本公園の一画にあり、周辺は池に囲まれている。古墳が作られた当初の姿を
ほぼとどめており、良好な状態の古墳です。大和古墳群学術調査委員会が中心になり
、平成9,10年の2ヵ年をかけて調査がおこなわれました。そして、後円部では長
大な竪穴式石室の存在が明らかになり、副葬品も三角縁神獣鏡を中心として多数出
土しました。竪穴式石室は、後円部の中央に前方後円墳の主軸に直交してつくられていた。全町約8,3メートルの長大な規模で、川原石と板石を用いた合掌式の特殊な石室であることが判明した。
石室中央には、長さ6メートル、直径1メートル以上のクワの巨木を刳りぬいた木棺
が使用されていた。現在、木棺は腐り粘土の棺台が残っている。
三角縁神獣鏡
日本の古墳時代前期の古墳から多く発掘され、既に400面以上も検出されている。面
径は平均20センチ程度。鏡背に神獣(神像と霊獣)が鋳出され、中国、魏の年号を
銘文中に含むものも多くある。
なぜ、三角縁とするかの理由については、ほとんどが凸面鏡であり、三角縁にすると
構造上作りやすいから、あるいは、神聖な場所を囲む瑞垣をまねた等の説がある。中
国では2 - 3世紀の時代に、紹興近辺でしか出土しい。
三角縁神獣鏡があらわれる前の3世紀前葉には、「神獣鏡」類の画文帯神獣鏡と呼ば
れる中国鏡が、約60面出土ている。その分布の中心は北部九州ではなく畿内地域で
ある。なお、三角縁神獣鏡の画像は、画文帯神獣鏡の画像を巧妙に変更して創り上げ
ている。
天理市立黒塚古墳展示館前公園
天理市立黒塚古墳展示館前で休憩の委員

長 岳 寺
(ちょうがくじ)

山の辺の道に残る長岳寺は天長元年(824)淳和天皇の勅願により弘法大師が大
和神社の神宮寺として創建された古刹であり、盛時には塔中四十八ヶ坊、衆徒三
百余名を数えという。
以来、幾多の栄枯盛衰を重ねながらも、千百八十余年間連綿と法燈を守り続け今
日に至っている。千古の歴史を経て文化財も多く、重要文化財としては仏像5体
、建造物4棟があります。
大門をくぐり両側に平戸つつじの生垣が続く玉砂利の参道を行くと我が国最古の
美しい鐘楼門があり、 12,000坪の広くて静かな境内には四季折々の花の香りが
漂い、いにしえの趣と心の安らぎを求め、多くの参拝者があとを断たない花と文
化財の寺です。(写真は鐘楼門)
本堂
本堂前の池に映る本堂が実に美しい
国指定重要文化財では建造物4棟、仏像5体、
奈良県指定文化財では建造物1棟、工芸品1品
があります。その他未指定でも多くの文化財
を有し、特に狩野山楽筆の大地獄絵図は圧巻。
中尊の阿弥陀如来及び両脇侍の観世音菩薩、
勢至菩薩の三尊は当寺の本尊。
戦国時代に当寺附近で戦乱があって、切られ
た血だらけの武将が縁側から逃げ込んできて、
息絶えたという。その武将の足跡がついた、
縁側の板を天井に張り替えたため、血のりが
ついた足跡が残ったものである。
弥勒大石棺佛
弥勒菩薩は今、都卒天で成道をめざして修行されており、五十六億七千万年後に如来となられ
私達の世界に下生されます。そして輪廻転生する私達の魂を救済されると云います。当寺の
大石棺佛は古墳の石材を利用したもので、法量は2メートル近い如来形です。
長岳寺 五智堂
長岳寺西方約1km の飛び地境内にあり、その形から傘堂あるいは眞面堂とも呼ばれます。真ん中
に太い心柱がありこれによって建物のほとんどの重量が支えられています。心柱上部に四佛の梵字
額があり全体で五智如来をあらわしている。

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