ホームへ
戻る


獅 子 窟 寺 を 訪 ね る 

第 5 回
2008,10,22

今回のパトロール対象は獅子窟寺本堂および国宝収蔵庫、当寺までの「坂口
〜寺標の辻」、「安産地藏と宝筐印塔」「王の墓と六体地藏」、「亀山院の
石段」などを京阪河内森駅から獅子窟寺参道をチェックしました。

獅子窟寺本堂
獅子窟岩
薬師堂

獅子窟寺の宗派は、真言宗高野山派に属し、寺伝によると奈良時代聖武天皇(45代)の勅願によって僧行基が堂塔を建てたという。
本尊薬師如来は平安のはじめ弘仁期(810〜824)の作で、榧(かや)の一木造り。
仏多可3センチのまれに見る洗練された技巧を称賛され、昭和43年3月16日国宝に指定されている。

平田保護委員とパトロール隊員
国宝 薬師如来

寺標の辻・河内森駅・交野連山
安産地藏
アビラウケンの梵字碑

◆<安産地藏>
獅子窟寺の上り口に、「獅子窟律寺」「南無阿弥陀仏」「従是六丁」などと刻まれ
た石柱が立っている。急な山道をゆっくりと登ってゆくと、首なし地蔵が祀られて
いる。私市の昔のお母さんたちは臨月になると安産を祈り、お乳が沢山出るように
と祈り、適度な運動も出来た。安産地蔵と言われている。
◆<寺標の辻>
獅子窟寺への上り口(坂口)の寺標の辻獅子窟律寺と刻まれている

<獅子窟岩>
獅子窟寺の山は全山花崗岩質の山である。梵字の碑の大岩を上にあがると、東から
西側に突き出した巨石はまさしく男の石である。つけ根から先まで4.5mである。
この下から西側に降りると、金剛般若窟(こんごうはんにゃくつ)・獅子窟(ししく
つ)である。
獅子の口に似たとして獅子窟(ししくつ)と言われ現在の寺号が出来たと伝えられて
おり弘法大師がこの岩にこもって修行した。弘法大師が嵯峨天皇(弘仁年間 810
〜824年)のころ、交野地方にこられた時に、獅子窟寺吉祥院の獅子の宝窟に入
り秘法を唱えると、七曜の星(北斗七星)が降り、三ヶ所に分れ八丁三所に星が降
った。
アビラウケンの梵字碑
獅子窟寺の本堂の北の石段を上がって、まっすぐ行くと、獅子窟の南側の支え石に
突き当たる。
その石の右寄りで、大岩に寄り添うように自然石に刻まれた梵字碑が建っている。
この碑は、胎蔵界大日如来の真言「アビラウンケン」を蓮華座の上に表わしたもの
で、永禄6年(1563)3月12日に一結衆が逆修供養(死んで極楽に行けるよ
うに、生前仏事を修め冥福を祈ること)の為建立したことが一結衆11名の名が刻
まれている。

◆六地蔵
明治の廃仏毀釈の時に上部が壊された


◆王の墓
獅子窟寺への山道を登って行くと寺の手前に少し開けた所に仁王門跡の石組みが
あり、左へ山道を下り、六体地蔵の前を抜けると、湾曲に突き出した所に、亀山
上皇と皇后の供養塔・王の墓が重厚なたたずまいを見せている。


ホームへ
戻る



inserted by FC2 system