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石仏の道を訪ねる
第 2 回
08,6,25
 

神宮寺の集落から東の交野山へと通じる山道が石仏の道と名付けられています。この道の路傍にはいくつもの
石仏があることからこの名がつきました。山裾の藪(神宮寺の宮跡)のある北から里のかけて、奈良時代に開
元寺と言う大寺が建ち、その寺が鎌倉時代の頃に、交野山の山頂に寺を移し岩倉開元寺と名を変えたといわれ
ており、この道は岩倉開元寺への参道であった。往時、沢山の僧やお参りする人々が通った道である。
この石仏の道に存在する弥勒仏坐像石仏二尊石仏、三尊磨崖石仏、阿弥陀如来立像石仏、阿弥陀三尊磨
崖石仏、の5点が、平成14年9月1日付けで「廃岩倉開元寺関係石仏群」として交野市の指定文化財に指定
された。石仏の道をあがると、右側に東面して花崗岩の自然石に刻まれた弥勒菩薩(第一石仏)がある。

この弥勒菩薩は坐像で、右腕を前に出してまげ、掌を外側に開き、左手は組んだ膝の上で掌を下に向けておいて、
くつろいだお姿でおられる。リアルで緻密な線刻描画は、大阪随一の秀作と評され、鎌倉初期の作と言われる。
弥勒菩薩(第一石仏)

弥勒菩薩から登山道を登ると、右側に細長い池があり、この池の東端の小道に、二尊石仏が西面している。さら
に第二の山池を左に見て進むとぐっと南に山道は曲がるが、ここからすぐ右側に大石の頂部が見える。この大石
の上部中央に南面して、半円の光背に阿弥陀三尊(第二石仏)が刻まれている。
本尊は阿弥陀如来坐像、脇侍は観音・勢至の両菩薩の立像で、文明11年(1475)と彫られている。室町中期で
ある。現在、交野山への登山道(石仏の道)は、この磨崖仏の北側を通っているが、昔は南側の小川に沿って、
眼の上に阿弥陀三尊を拝みながら登った.
道の左手に、頭部が少し欠けた阿弥陀さんがおられる。阿弥陀如来立像石仏である。石仏の頭部右半分や光背
の上部を欠損しているが、衣は通肩で来迎印を結んでおられ制作年代は室町時代とされている。石仏のある北側
斜面は「鳩が谷」とも呼ばれ、以前ここか骨壺が出土したといい、開元寺の墓地であった可能性があり、この石
仏も墓地に伴う供養のために造立したと考えられている。
この山道を更に、登ると左に傾いた大石がある。その上部切り込みの光背の中に阿弥陀三尊(第三石仏)が刻
まれている。高さ3mほどの花崗岩に、仏の高さ40cmの本尊阿弥陀如来が蓮華座に坐し、これよりやや下側
の両脇には、第二石仏同様、観音菩薩と勢至菩薩の二仏が蓮華座の上に立っている。また、第二石仏同様に室町
時代中期の作といわれている。右側の菩薩が赤茶けているのは、開元寺の火災の時のものともいわれている。


石仏の道・市指定文化財石仏
弥勒菩薩
阿弥陀如来立像
阿弥陀三尊
二尊仏
            阿弥陀三尊             
     石仏の道は<ご来光を仰ぐ道>でもあった

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