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第5回ふるさとウォーク
2010,11,10
〓ふるさと交野を歩いて知ろう文化財〓


《道しるべ》
いきいきランド→青山→免除川→山根街道→市場橋→
私部城跡→お旅所→中町→北田代官屋敷→住吉神社



いきいきランド10時集合、37名の参加者であった
いよいよウォーク開始、青山の免除川へ

※写真は平田政信氏提供
免除川の源は交野山「白旗池」で、その昔、倉治の村の中央を
流れていたが、度重なる洪水のため対策として現在のところへ
堤防を作り移設した。土地所有者に年貢を免除したことから
「免除川」と呼んだ。諸説他にもあるようだ!
倉治小学校建設前、敷地内に建っていた「機物神社」の
鳥居、南側から本殿に向かって拝んでいたそうだ
(免除川の青山付近より撮影された模様)
私部城跡に設置された看板を見る参加者
私部城跡に設置された看板を見る参加者
私部春日線から北側の土塁を(右写真)望む
北側の土塁
私部城跡周辺見取り図(URL星のまちより転載)

住吉神社を出発するお神輿(URL星のまちより転載)
         住吉神社<御旅所>
御旅所とは?
神輿を仮に奉安する場所のこと。また神社の元の鎮座地とという場合もある。
つまり、神社に正式に神を祭る前の祭場を意味していることにある。
人々はこの神の旅によって、神の威力、神霊の新たなよみがりを願ったのであろう。
北田の代官屋敷<重要文化財指定>
宅地面積約1,142坪、主屋は300年前に建てられた
住吉神社
立派な大鳥居は※萬延元年(1860年)に再建された

住吉神社の大鳥居の原石を採石されたところは、神社の東方
3キロ、標高180mの位置にある私部領小字口山で、「鳥
居谷」と呼ばれている。
ここより採石された原石を住吉神社まで運ぶ様子を描いた
のが、左図のかるた絵である。
村人が総力をあげてこの大石を牽引してきたこては大変な苦
労だったことでしょう!

※住吉神社の先の鳥居は安政二年の大地震で倒壊したため
「萬延元年」に再建された。
倒壊した鳥居の一部は神社拝殿の奥に「灯篭」として活用さ
れ残っている。債権の時期は様々な事件が起こったり、悪疫
の流行したり暗い世相であったため、<萬年も反映が続く
ように>との祈りを込めて「萬延元年」と改元されたが、
凶作・物価高騰など人身の動揺が続き、僅か一年の「萬延」
という元号に終わった。 

最後までご覧頂き有難うございました。
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