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平成22年10月13日
ふるさとウォーク
〓ふるさと交野を歩いて知ろう文化財〓



【道しるべ】

いきいきランド→とんど場地蔵→大谷北窯跡→桜源郷→塚穴古墳→いきいきランド

あたらし池の堤にて(この左側に大谷北窯跡)

寺は倉治と同じく村の位置を変えている。最初の寺の集落は交野高校の北側、今池の南の田んぼの中であった。小字名は「いまい」と言っている。それは弥生時代、稲作を中心とした集落で、村の名を「てるは」と呼んでいた。古墳時代になると大陸から新しい文化が入り、また、渡来人もやってきた。そして現在の寺の集落の地に住んで機織を専業とした。この村の支配者(豪族)は相当の力を持ったであろう。寺の周囲に点在する多数の横穴式古墳が存在。




寺地区の畑の中に祀られる「とんど場地蔵」

平田さんから「とんど場地蔵」の説明を聞く参加者


創価学園グランド建設時「大谷北窯跡」が発見された

当時の発掘調査状況

登り窯跡か?

登り窯イメージ図

窯で量産された「須恵器」

塚穴古墳へ



塚穴古墳 寺古墳群に属し、交野で現存する古墳の一つ。横穴式古墳。
寺古墳群は寺(てら)の集落の東南、竜王山の山麓に群集する後期 古墳群
(六世紀から七世紀初頭、飛鳥時代)である。14基の古墳からなり、
いくつかの尾根に2〜3基づつ点在し、広い範囲 をこえて寺古墳群と呼ばれている。



創価学園の小公園脇の道を登り、竹薮と雑木の平地をしばらく行くと
古墳が口を開けている。塚穴古墳である。横穴式石 室を完全に残す


大きな石が整然と組み立てられていて平田さんが写真撮影するのに十分な
広さが確保されている。ここに葬られた人物は「村長クラスの人か・・・?」
太古の交野を思い巡らさせてくれる。





僅か時間のウォークであったが「寺地区」には古墳時代の活発な生活が営まれていた
ことを彷彿させてくれる貴重な体験でした。参加者の皆さん全員から「こんな身近な
場所に立派な古墳があったのですね!」と満足気なコメントされていた。

最後までご覧頂き有難うございました!

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